本人の理解以上のサービスを与えることはできません

ケア

ご高齢者様が暮らしていた時代の 医療体制というものがどういったものであったかということは現代人は経験したことがないため当然詳しくは知りません
しかし、ご高齢者様が過ごした時代の医療で「昔は自宅にあんまさんが来て””あんま””をしてくれて治った」という記憶が残っているのであればその理解に沿ったサービスを提供することが一番良いのだと思います

ケアマネージャーは物事の本質を難しくしてはいけません
たくさん存在する介護事業所はそれぞれの思惑があって営業をしています
これは医療機関においても同様です
例えば整形外科の病院がデイケアをやっている場合にはリハビリに特化したサービスを提供しているのだと推測できます デイサービスに訪問看護が併設しているのであれば自宅療養をしている身体機能が低下しているご利用者様に通所サービスへの移行という特化したサービスがシームレスに行われているのだと判断します

さまざまな形態・構成要素・歴史背景を読み解きご高齢者様ご自身が適切な判断ができる、世間一般の常識の判断ではなく、押し付けの判断でもなく、または無難な判断でもなく、ご高齢者様ご自身の感性に基づいた選択、他の誰でもないオンリーワンの選択 、住み慣れた地域においてご自身の望む生き方をすると言う自分自身だけの価値観を想像していくこと、それらを一番そばにいて最初に会ったケアマネージャーが本人に合った最適の計画を提案することはとても大切だと思います
ここを間違えると後半に変更することが大変になることがあります

ケアマネージャーは物事の本質を難しくしてはいけません
むしろ難しくしているという意見もあるかと思いますが介護保険制度は様々な制度と絡み合い手続きや解釈がますます複雑になっています
高齢者のリテラシーに合わせた説明を行ってもそれでも難しく聞こえてしまうことがあるでしょう 大方の真実は逆で ケアマネージャーは物事の本質をシンプルにしています
時にはそれが思考の飛躍だと誤解を受けることがあっても手続き上は省いて説明した方が良い場合もあります

私たちは多くの研修を受け知識もありますがそれは他の世界から見ると時として気難しい住人として目に写ることがあります
介護をサイエンスするという作業を繰り返し繰り返し研修で叩き込まれます
自分の知識を見せびらかすために難しいことを難しく言うつもりはありません
多くの知識があるということはすなわちノイズも大きいということです
その中から耳を澄まして一つの要素を純粋に抽出するということが実は非常に大切になっています 個人的にはそう感じます
時として良いケアマネージャーほど簡単でシンプルな言葉を使います
それは多くの雑音の中から純粋に抽出することができたということでありそれは説得力を纏うようになります そう信じます

熟練の精神カウンセラーが行うカウンセリングよりもある日突然訪ねてきた素人の友人のシンプルな言葉が患者の心を癒すことがあります
私達、職能者はそれらのことを素直に受け止めなければなりません
思い高ぶらず謙遜な姿勢を持ち続けなければならないと言うことです

たとえ間違った方向に進んだとしてもそれは「正しい」
間違った思考の結果には間違った結果があるだけです
どこで間違っていたのかを気が付くことが大事 「決して間違ってはいない」と言い切る感性では「そこには」到底たどり着くことができません(以前書いたブログより)

数多くの経験や知識を書く蓄えられた高齢者の皆様は私達の作為ある商業的アプローチの本質をたやすく見破ります
私のような単立ケアマネージャーはどこにも所属しておらず、よって特定の事業所にサービスを誘導することはありません
通所や訪問に併設するケアマネージャーであればできるだけパッケージしようとするでしょう
決してそうでないにしても一人で立つと言う気持ちが何より大切だと思います

ケアマネージャーは物事の本質を難しくしてはいけません
親切の押し売りをして必要無いサービスを売ってはいけません
「あなたのことが可哀想だからあなたを助けたい」という人は””いつか””自分が一番可哀想な人になっています それを知っている人は決して親切の押し売りはしないでしょう
だから一人で立つことが必要だと思います


同時にケアマネージャーという立場だけではなくこの地域で暮らす住民の視点としても地域のサービスのシンクタンク・思考を蓄積している場所・誰でもアクセスできる場所として存在することが大切だと感じています 

タイトルとURLをコピーしました